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LK IIは、ドイツで開発された軽戦車である。LKとは軽量戦闘車輛(Leichter Kampfwagen、ライヒターカンプフヴァーゲン)を意味する。 LK IIは第一次世界大戦中に開発された軽戦車LK Iと同様のデザインを持つ。相違点は、車体後部の天井部分に全周旋回可能な砲塔を乗せ、ドイツ・クルップ社製の37mm砲、またはロシア製のSokol 57mm砲を備えたことであった。本車の装甲は8~14mmであり、総重量が8.75tに増している。動力にはダイムラー・ベンツ社が製造した、モデル1910 4気筒ガソリンエンジンを用い、55~60馬力を出力した。この軽戦車は65~70kmの航続距離を持ち、最大速度は14~18km/hであった。 1挺、または2挺の7.92mmマキシム08/15機関銃を搭載する派生型が模索されたが、計画の域を出ることは無かった。 試作車両が2輌のみ、1918年6月までに生産された。この後に580輌が発注されたが、契約通りに生産が完了することは無かった。 == 第一次大戦後のスウェーデンでの運用 == 第一次世界大戦後、スウェーデン政府は、秘密裏に10輌分の部品を総額20万スウェーデン・クローナで購入した。部品はボイラー用のプレートおよび農業器材とされ、船で輸送された後、Stridsvagn m/21(略称Strv m/21)としてスウェーデンで組み立てられた。これらの車輛は基本的にLK II試作型の改良版であった。Strv m/21は、6.5mm機関銃1挺の武装を施された。 1929年に、5輌がStrv m/21-29の発展型を作るべく改造された。これは37mm砲、または2挺の機関銃を搭載し、スカニア=ヴァビス社製エンジンで駆動された。改善された戦車のうち1輌にハインツ・グデーリアンが搭乗し、操縦している。これは1929年に行われたスウェーデンへの訪問でのことであった。 後に、ドイツはランズヴェルク社の主要株主となり、オットー・メルケル(Otto Merker)を主任設計技師の地位に就けた。1931年、この社ではStrv m/31(L-10)を生産した。また、これはスウェーデンで生産された最初の戦車となった。 Strv m/21-29は、1938年まで軍務に就いた。残存車輛はドイツのミュンスターに所在する、ドイツ戦車博物館で見ることができる。また、strv m/21とstrv m/21-29はスウェーデンのアクスバル戦車博物館で展示された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「LK II」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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